真夜中2時まで読みたくて。
・真夜中2時まで読みたくて、『ラブカは静かに弓を持つ』
(読了目安:8分)
私の住んでいる地域では、暑さの少し和らいだ日もあり、おかげさまで元気に過ごしていますが、お変わりないですか?
今週は、1日お休みをとって少し遠出をしてきました。車で出かけたその場所は海沿いで、浜では泳いでいる人たちも多くて「夏だなぁ」という感じ。
お昼はその町の名物…ではなく、町中華におじゃましました。車酔いを気にして少ししか食べられなかったけれど、とっても美味しくて大満足!

遠出先の町中華で食べた餡かけ蟹チャーハン🥄
私は海のない場所で生まれ育ったからか、海を見ると結構テンションが上がります。(泳げないので見るだけ)
山があって、街があって、道路があって、浜があって、海があって、そのずっと向こうに水平線が見える、というグラデーションを車の窓から眺めながら、馴染みの友達だちとの遠出は無言も怖くなくて、みんなそれぞれの時間を楽しみながら、時折ひらけた景色に一緒にハッとしたりしていました。

車で流れている知らない音楽に耳を傾けつつ水平線を見ていたら、「どこかで最近見たな…」と、一冊の本が頭に浮かびました。十数ページを残したまま家に置いてきた、あの本。
朝も早かったせいか、帰ってくるとふっと意識が遠のき、夕方に帰ってきたあと一眠りして起きたら夜中でした。残り十数ページの本が目に入って、ソファに寝転びながらその本を読むと、深い眠りのあとだからか、やけに脳がスッキリしていて文字がどんどん入ってきました。
もう少し読みたかった、と言いたいような、言ってはいけないような、そんな気分になりながら、読み終えた本を閉じて、もう一度眠りについたのでした。
曖昧な傷の記録。
ところで、「あわい」という言葉を知っていますか?
読書を長いことしていても、毎日言葉を使って生きていても、本で知らない言葉に出会うことは多いです。トラウマ研究でも知られる大学教員・精神科医の宮地尚子さんの『傷のあわい』を知った時に「あわい」ってなんだろうと思いました。聞いたことある音だけど、意味、なんだっけっか…。

読み始めてすぐにその言葉の意味が書かれていました。
「あわい」というのは漢字で「間」。でも、「何かと何かの間」というよりは、ふたつのものが交わったり重なっているしている領域のことで、あいまいなコトやモノ、時間などを指します。
どちらでもあり、どちらでもない。ということが実に多いと理解したのは大人になってからで、なぜか昔は何か正解があるような気ばっかりしていました。その正解と思っていたことは、多数派の答えだったり、慣習だったりする、というのも往々としてあったのですが。(当時は本に書いてあることは「正解」だと勘違いしていて、それが「問い」で自分の正解を考えるためのはじまりだとは自覚できていなかった)
たまに「 "あわい" の人間関係 」を感じることがあります。本名も普段何をしているかも知らないし、友人や知人というわけではないのだけれど、いつの間にか顔を覚えて、「知り合いになりましょう」と何かを交わしたわけではないのに話せるようになっていた、という関係。
例えば、図書館の受付の方に「その小説、私も読みましたよ」と言ってもらえたり、あたかもずっと前から知り合いだったかのようにみんなで盛り上がる読書会になったり…。
友人知人というわけじゃないけれど、一方で他人とも思わない、「あわい」の関係の距離感を私は結構気に入っていて、その空間を一緒にいた時、お互いに少しだけ気を配るみたいな、ゆるいやさしさがあるなと思うのでした。

さて、本の話の前に少し長くなってしまいましたが、本題に。
1989年から1992年に留学でボストンに住んでいた宮地さんは「ボストンに住む日本人のメンタルヘルスの調査」のために現地に住む日本人にインタビューを行っていました。『傷のあわい』は、そのインタビュー対象者のライフヒストリーを宮地さんの思考と言葉とで書かれている本です。
日本を離れる理由は、本当に人それぞれで、自らの意志を持って行った人、家族の都合で行かざるを得なかった人、逃げるように日本を出てきた人…。彼らの暮らしがいい意味でありありと描かれているので、どこか読んでいて苦さを纏います。
今では名前がついた病名も当時はまだなく、まだ社会的には「傷」とされていなかった、それこそ調査者の方々の持つ「傷であり、傷でない」ものを掬い上げたこの本に『傷のあわい』以上に適したタイトルは見つからなさそうです。
医師、大学教授の書く文章と思うと身構えそうになりますが、宮地さんの文体は読みやすく、そしてやさしい。そのやさしさの種類は、職業人としての宮地さんと、ひとりの人間としての宮地さんとの間にたゆたう、感じ方のせめぎ合いや躊躇いみたいなものから生まれているような気がします。
移住先のロンドンで苦しむ日本人の暮らしの話とは別に、宮地さん自身の体験もエッセイとして書かれています。個人的には、このエッセイ部分がかなり印象的でした。
エッセイのひとつに、宮地さんがアメリカに来てから引っ込み思案で学会などで発言できない自分をどうにかしようと受けた「アサーティブネス・トレーニング」の話があります。
この「アサーティブ」の定義は「相手を傷つけたり罰したりせずに、自分の意見や欲求、希望を相手に直接伝えること」。私もあまり交渉ごとや主張が得意ではない方なので、自分の中のもっと知りたいセンサーがピンッ。アサーティブであることは、結構難易度の高いコミュニケーションだとは思うけれど、これができたら人生の自由度、めちゃくちゃ上がりそうな予感がしました。
本の主題とは異なるけれど、時折、読んでいて引っかかった言葉から何か動きが始まることがあります。今回でいう、「あわい」だったり「アサーティブ」だったり、そうしたことから考えが始まって、知りたいことややりたいことが増えていくのは読書の副産物として私は割と恩恵を受けてるなと思います。
このまま次の本の紹介に入りたいと思うのですが、実は離れていそうで『傷のあわい』と一緒に読めるような気も。読み始めの期待値をだいぶ高く超えて、翌日は朝から仕事だというのに、真夜中2時まで止められずに読了した夢中で読める作品だったので、ぜひ紹介したいなと思って書いています。
真夜中2時まで読みたくて。
と言いながら、ちょっと違うところから話を始めるのですが、「表紙買い」したことってあります?