#179 本に書く勇気、書かれる勇気。
9月も半ばだというのに、私の住む東京では最高気温34℃!どういうことだ...!と思うような1週間でしたが、体調など崩していないでしょうか...?暑い....
今週のハイライトは、ちょっといいレトルトカレーを買ったので、ルーを温め、玄米ごはんパックをレンジにいれて、熱々を食べるぞーと思ってごはんパックを開いたらお粥だった事件です。(言い訳すると、棚に米列と粥列があって、並べるときに米列に粥が紛れ込んでいたため米列=米という思い込みで未確認のままレンジに入れたのでした..)
結局梅干し出してお粥をたべ、スープ(?)としてカレーを食べました。(美味しかったけど...!)
さて、最近、ブレイディみかこさんの『他者の靴を履く』を読んでいました。ブレイディみかこさんと言えば、人種・貧富が入り混じったイギリスにある「元底辺中学校」に通う息子さんの記録『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が有名。『他者の靴を履く』は『ぼくは〜』の副読本とも言われているので未読の方は興味深く読めるかも!
ブレイディみかこさんは『ぼくは〜』の他にも『子どもたちの階級闘争 | ブロークン・ブリテンの無料託児所から』などをはじめ、階級や貧富、差別など子供達をめぐる世界のリアルを本にされています。
一方で、2022年には同様のテーマを書いた小説『両手にトカレフ』を発表。より多くの人に興味を持ってもらうためかと思ったけれど、
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』には出てこないティーンたちがいました。ノンフィクションの形では書けなかったからです。
と書かれていました。
西加奈子さんの『くもをさがす』は、カナダ在住の西さんがコロナ禍にがんを患い、その闘病の記録。終始緊張感の走ったこの作品でも、最後の方にこんなふうに書かれていました。
医療関係のことだったし、私一人だけのことではないので、配慮の上で「書けない」こともあったし、意図して「書かない」こともあった。
私たちは手にした作品、見えているものをまず100%として捉えているので「書かれなかったこと」に関して知ることはできないんだよな、と読んだ時のことを思い出しました。
「本になる」というのは「人の手に渡る」「人の手の先で残る」ということだから、実は結構書けないことって多いのではないか。
そんな当たり前のことをまた思い出して、このことを書きたい気持ちになったのは、昨日まで読んでいたある本の影響でした。