#232 復讐本⚡️(と、コラボ読書会の予告)
・復讐本⚡️ / その復讐、お預かりします
・【イベント予告】本の読める店 fuzkue西荻窪さんでコラボ読書会が11月に開催!
・【お願い予告】本屋巡リスト作成のご協力のお願い
秋分の日も過ぎて、夕方があっという間に暗くなるなぁと感じるこの頃。気づけば9月も終わりに近づいてきて、月末や前期末でバタバタしている方も多いのかなと思いますが、今週はいかがお過ごしでしたか?
旬の果物届いた🍇
今週は、キッチンでコーヒーの粉をぶちまけたり、開かずの宅配ボックス事件が起きたり(入れた方が操作に誤りがあったようで、宅配ボックスがエラーになり急ぎのものが取り出せない事件)、不注意で怪我したり、大方自分のせいなんですが、なんとなくうまくいかない日が続いて落ち込み気味に…。
でも週の途中で予約していた本を受け取りに行きつけの本屋さんへ行って、店主さんとちょっと世間話をして、店内をぶらぶらしてたらピンとくる本に出会えて。さらに久しぶりのお友達にも会えて、だいぶ取り戻して週末を迎えています✌️
今週の出会い本
その、「ピンとくる本」が面白かったので紹介させてください。ライターの生湯葉シホさんの初著書『音を立ててゆで卵を割れなかった』です。
この本では、生湯葉さんが「食べられなかったもの」とともに、気弱でありつつこだわりも強かったこどもの頃から20代の自分を振り返るエッセイ集で、そのタイトルの意味を、早速ひとつ目のエッセイから知ることができます。
「食べられなかったもの」というのは、一見「苦手なもの」と思ってしまいますが、「ゆで卵」は、気を使いすぎてオーダーしたものの「食べられなかったもの」だったのです。
ネタバレになっちゃうので詳細は本で読んでもらえたらと思うのですが、「食べたくて頼んだものを周りの環境を気遣った結果、食べられない」という...
その他にも「苦手ではないく自分の希望で頼んだのに、食べられない」はいくつもあって、こんなに「食べられない」ってたくさんあったんだ、とハッとしました。
どこかぎこちなくて、みんなが自然とできている「自然に振る舞う」ことができない自分にもやもやしていた時代を振り返って綴られた言葉たちは、確かに少しその時の状況を想像すると息苦しさや痛々しさのようなものもあるのだけれど、抜け感のある言葉選びも、時に希望もあって、エッセイそれ自体が纏う「ただ流れていく」みたいな諦めも含めた無理のない空気も、私は好きでした。(時に混ざる心の奥底の声やキレのある話もまたスパイス)
本になるような出来事は、最後に「克服した」となる方がきれいに締まるかもしれないけれど、生湯葉さんの場合はそれを「そっとしておいた」、「同じことが起こらないように選択するようにした」というパターンも多く、大人になってから私も「苦手なことを克服する」よりは「手放し上手」でありたいな、と思うようになって、だから「ピン」と来たのかもしれません。
もちろん、「苦手の克服」もとても大事なことだと思うから、できることはやっていきたい。でも、自分が思ったよりもたくさん抱えられないことに、ようやく気がついてしまった…(遅い)「足し算より引き算が難しい」といつか誰かが書いていたようなことをまざまざと実感している最近です。
あんまり「作家買い」しないタイプなんですが、そういえば、なんだか読んだことのないタイプなような気がして、次回作が読んでみたい作家さんのひとりになりました。気になったらぜひ。私は、後半の方にある、かつて習っていた塾の先生と大人になって銀座のビアバーで、一緒に昔を振り返っていたら涙でソーセージが食べられなくなった話が好きでした。
ところで、今日のテーマは「復讐本」なんですが、実は、『音を立ててゆで卵を割れなかった』では復讐という話が二つのエッセイで出てくるんです。一度は「復讐みたいな気分」で湘南新宿ラインに乗っている夏の話、もうひとつは、別れた彼に大事にしていたCDを返して、と伝えたらゴディバのチョコレートが届いて、それをどう扱ったら復讐になるかと考えた、という話。
『音を立ててゆで卵を割れなかった』の方が後で読みはじめたから、単なる偶然なんだけれど、不思議と繋がる読書になったのでした。
復讐本⚡️
ということで、本日は"復讐本"の紹介です。